6月8日(月)の茨城県議会本会議における請求代表者の意見陳述(全文)は以下のとおりです。
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条例制定請求代表者意見陳述
いばらき原発県民投票の会共同代表の徳田太郎です。86,703名の茨城県条例制定請求者を代表して、意見を申し上げます。
まずは、本会議場での意見陳述の機会を設けてくださいました森田悦男議長はじめすべての議員の皆様、議会事務局の皆様に御礼申し上げます。また、大井川和彦知事をはじめ、今日に至るまでの手続きを進めてくださいました原子力安全対策課、市町村課など執行部の皆様、県内44市町村の選挙管理委員会の皆様にも御礼申し上げます。
1年近くに及ぶ準備期間を経て、本年1月6日、直接請求のための署名収集を開始いたしました。折しも一年で最も寒い季節、山あいの集落への道を、砂が舞う海岸の道を、冬枯れた田畑の間の道を、あるいはみぞれ降る住宅地の道を、事前に登録いただいた3,555名の受任者が、それぞれ署名簿を手に歩き始めました。署名は、一人ひとりが請求代表者あるいは受任者と対面で、自筆により氏名、住所、生年月日を記し、そして捺印する必要があります。これは、個人情報の保護が叫ばれる中、大きな困難を伴うものでした。それでも多くの方に趣旨をご理解いただき、受任者の輪も広がりつつあった2月、国内での新型コロナウイルス感染症の拡大という、新たな困難が私たちの目の前に立ちはだかりました。感染予防に努めながら、いかに署名収集を継続するか。何度も議論を重ね、独自のルールを周知し、徹底した対策を講じることで、4月12日、全44市町村での署名収集を終えることができました。
冒頭、「86,703名の茨城県条例制定請求者を代表して」と申し上げました。しかしながら、このように署名収集活動に制約が課せられたことで、あるいは請求代表者の力不足により、署名への意思をお持ちの方すべてに、期間内に署名簿をお届けすることは叶いませんでした。それは、5月になってもなお、お問い合わせが続いていたことからも明らかです。86703という数字では表せない多くの県民の思いを、この議場にしっかりと届けることが、本日の私の役目と考えております。
さて、今回ご審議いただくのは、県民投票条例案です。繰り返します。県民投票に関する条例案です。なぜ当然のことを繰り返すのかと訝しくお思いの方も多いでしょう。しかしながら、これは極めて重要なことであると考えます。今回ご審議いただくのは、「東海第二発電所の再稼働に関し、県としての判断を行うに先立って、主権者である県民の声を聞く手段として、県民投票を行うか否か、行うとしたら、どのように実施するのか」、この点に尽きるのです。すなわち、ここで問われているのは、東海第二発電所の再稼働そのものではありません。いわんや、原子力政策でもなければ、エネルギー政策でもありません。政策の内容ではなく、「いかにして民意をはかるのか」という、政策決定の過程を問う議案となっております。
主権者である県民の意思を把握するための手段として、県民投票を行うことが望ましいのか否か、望ましいとしたら、それはどのような方法で行われるべきなのか。この観点から、以下、代表的な3つの論点に関し、意見を申し上げます。すなわち、県民投票と二元的代表制との関係について、投票前の情報提供と冷静な議論の実現について、そして、県民投票の実現に要する費用についての3点です。
1つ目は、「住民投票は二元的代表制を否定するものである」という論点です。つまり、選挙された代表者こそが県民の意思を表すものであるという考え方です。確かに、私たちが依って立つ制度としての民主主義は、代議制に基礎をおいております。そして、議員の皆様が代表としての正統性を有することは、言うまでもありません。しかしそのことは、個々の議員が、すべての県民の、すべての意思について委任を得ているということを意味しているのでしょうか。〈人を選ぶ〉選挙は、政策のパッケージ、さらには判断力や行動力、人柄といった多面的な評価基準の下で争われるものです。選挙結果を、個々の争点の、特に選挙時において明確になっていない争点への意思を完全に反映したものであるとすることは困難です。だからこそ、場合によっては直接的に〈事を問う〉、つまり住民投票などの手段によって補完することが、法的にも制度的にも期待されているのだといえます。
さらに、「代議制」という語の本来の意味に立ち返るならば、議員の皆様には、何よりも「代わりに議論すること」に大きな期待が寄せられているということになります。仮に、自由闊達な、そして徹底した議論が行われないようなことがあるならば、それこそが代表制の否定となってしまうのではないでしょうか。県民投票を実施するにあたっては、それに先立って、論点を明確にすることが必要となります。これは、まさに議会に期待される機能であるといえるでしょう。また、投票結果が法的な拘束力を持たない以上、その結果を踏まえ、的確な政策判断へと練り上げていくにおいても、議会が重要な役割を果たすこととなります。県民投票は、代議制を否定するものでも、代替するものでもありません。むしろ、県民投票があることによって、議会の存在が輝きを増すのです。
2つ目は、「複雑かつ高度な問題は住民投票にはなじまない」という論点です。感情や雰囲気に流されたり、あるいは「よく分からないけど、なんとなく」といった投票行動がなされたりした場合、それは「正しい判断」を導きうるのだろうか、という疑問です。もちろん、そのような状態を招くことは防がなければなりません。私たちは県民投票を、投票のその瞬間だけを指すものと捉えてはおりません。投票箱に一票が投じられるまでのプロセスの総体を、県民投票として考えております。各方面から十分かつ正確な情報が提供されること、一人ひとりが熟慮し、また様々な人と討議する場と機会が確保されることが、極めて重要です。だからこそ条例案では、投票の期日を「条例の制定から何日以内」などの形で規定してはおりません。安全性の検証や避難計画の策定に時間を要することはもちろんですが、それだけでなく、論点の整理、情報の提供、そしてそれに基づく冷静な議論、これらを経て県民一人ひとりが十分に理解を深めた上での投票を実現するために、このようなご提案をしている次第です。
プロセスとしての県民投票は、「練られた民意」を得ることを可能とします。これは、個別に質問に回答するだけのアンケート調査ではなし得ないことです。アンケートの方法が、県民の一部ではなく、すべての県民を対象としたものであったとしても、熟議を伴わない以上、同じことです。「複雑かつ高度な問題」であるからこそ、県民投票プロセスを経ることが望ましいものと考えております。
なお、プロセスを充実させる方法は、多数考えられます。諸外国には、以下のような実践例があります。それは、無作為抽出の住民によって自治体の縮図としての会議体をつくり、公正な資料に基づく討議と専門家への質疑を経て、意見の分布を得る。そして、その結果を理由とともに分かりやすく、かつ簡潔にまとめてすべての有権者に提供する。それを検討資料の一つとして、一人ひとりが投票に臨むという方法です。このような手法を導入することは、極めて有効であると思われます。
知事のご意見には、「意見を聴く方法については、本条例案の県民投票を含め様々な方法があることから、慎重に検討していく必要がある」とございました。県民投票を選択するということは、決してその他の手法を排除することではありません。先ほどの事例のように、複数の手法を組み合わせることによって、より「練られた民意」を得ることが可能となります。そして、繰り返しとなりますが、このようなプロセスを充実させるためには、その準備も含め、十分な期間を確保することが必要となります。方法の検討に年月を費やした結果、実際に「意見を聴く」プロセスに充てる時間が限られてしまっては、本末転倒となってしまいます。議員の皆様には、ぜひこの機会に、「練られた民意」を得るためのプロセスをいかに充実させるか、県民投票を軸にその方策をご検討いただけますことを、願ってやみません。
なお、細かい点となりますが、知事のご意見には、執行上の課題に関するご指摘もございました。条例案第3条および第19条に規定しております通り、開票事務の主体は知事とし、第17条における「開票を行い」の5字を削除することにより、条文間の矛盾は解消できるものと思われます。この点につきましては、ぜひ修正案をご議論いただければと存じます。
そして3つ目は、「住民投票の実施には多額の費用がかかる」という論点です。確かに、県民投票の予算規模は、億単位となることが想定されます。しかしこれは、実施の時期や方法によって削減することが可能です。たとえば、今後予定されている県知事選挙などの選挙と同日に実施した場合、かなりの額を削減することができるものと思われます。
さらに言えば、これは本当に「コスト」なのでしょうか? 自治の担い手として、私たち県民が成長するための、貴重な「投資」としても捉えることができるのではないでしょうか?
地方自治の本旨、すなわち原理原則は、一般的に「団体自治」と「住民自治」の2つだと言われています。団体自治とは、それぞれの自治体の意思と責任の下で自治が行われるということです。茨城県のことは茨城県で、国や民間企業から独立して、自主的・自律的に判断して行動する。東海第二発電所の再稼働にあたって、茨城県の同意が必要であるとされているのは、この理念に照らしても、正当な権利であるといえます。そしてもう1つの住民自治とは、それぞれの自治体の住民の意思に基づいて自治が行われるということです。県民投票プロセスを通じて、私たち県民一人ひとりが、考え、話し合い、自分自身の選択を一票として投じる。そして、その結果をもとに再稼働の可否を判断する。これこそ、住民自治の理念の具現化であるといえるでしょう。
英国の歴史家、ジェームズ・ブライスは、「民主主義の最良の学校、そしてその成功のための最良の保証は、地方自治の実践である」と述べました。東海第二発電所の再稼働は、社会的にも、経済的にも、私たちの生活に、そして茨城の未来に大きな影響を及ぼす事柄です。これについて、ともに考え、お互いに〈理由〉を検討しあい、悩みながらも選択し、自分の意思を固めて、それを表明する。そして、その結果をともに引き受ける。県民投票の予算は、そのような「民主主義の最良の学校」をつくるための、確かな投資として捉えていただければと思います。
「話そう 選ぼう いばらきの未来」。受任者募集の段階、そして署名収集の段階で、私たちが幾度となく繰り返したフレーズです。県民投票プロセス、すなわち「民主主義の最良の学校」を建設する道のりは、すでに始まっています。たとえば、受任者募集の段階で実施した「県民投票カフェ」。これは、東海第二発電所の再稼働について、あるいは県民投票自体について、お互いの意見を聴きあう場でした。9ヵ月の間に計75回開催し、一般参加者だけでも981名、運営側の参加者も含めると、のべ1,240名が対話の輪に加わりました。
そして署名収集の段階では、さらに多くの人々が、この「話そう 選ぼう いばらきの未来」というフレーズを口にするようになりました。たとえば、「80年間生きてきて、この署名集めは、本当に自分から『これは大切なことだ』と思えたんだ。誰に頼まれたわけでもないから、楽しくて仕方ない」といって、集落への長い坂道をゆっくりと歩いていったおじいさん。たとえば、育児と家事の合間を縫って、かじかむ指先で毎日何十軒ものインターホンを押し、説明をして質問に答え続けた若いお母さん。たとえば、身体を芯から凍らせる冷たい風に吹かれながら、「それでも立ち止まってくれる人がいるからやめられないよね」と、駅前に立ち続けた仲間たち。そういう一人ひとりの小さな、しかし確かな取り組みが、連日積み重ねられていきました。
このような取り組みのもと、署名用紙を挟んで、たくさんの言葉が交わされました。再稼働に賛成・容認という声もありました。慎重・反対という声もありました。そしてもちろん、「これからしっかりと考えたい」という声もたくさんありました。しかし、「自分たちが意思表示をする機会としての県民投票の実施」というその一点において賛同するということで、多くの人が署名簿に名前を連ねていったのです。そして、署名期間の終盤では、「来てくれてありがとう。署名できるのを待ってたんだ」という声を聴くことも多くなりました。そう、多くの県民が、いばらきの未来をもっと考えたい、ともに話し合いたい、私も選びたいと、待っているのです。
民主主義の学校づくりのバトンは、ここでいったん、県議会の皆様にお渡しすることになります。幕末の水戸藩に創立された、当時わが国最大規模の学びの場であった弘道館、その建学の精神を宣言した『弘道館記』には、「偏党(へんとう)ある無く、衆思(しゅうし)を集め、群力(ぐんりょく)を宣べ」とあります。党派に偏ることなく、徹底した議論により知恵を集め、それを力とすることで、バトンをしっかりと県内243万人の有権者へとつないでくださることを、心よりお願い申し上げます。
以上で、86,703名の茨城県条例制定請求者を代表しての意見陳述を終わります。ありがとうございました。
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